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令和四年のおしまい。


 碌に更新もせずにいたのは感染症流行の中、ある意味では拡げようと協力するようで

気が向かなかったというのもあるようなないような、いやただ怠惰なだけでもあるような気もします。


 仕事も休みに入ったので、改めて私がどういう稽古の場を提供できるのかと思いふけってみると、やはり

「始めやすくて、辞めやすい稽古場」ということになります。

忘れてはいけないのは、先生は生徒の人生の一部を頂戴しているということ。

時間を消費して働かなければ手に入らない尊いものだとも思っています。

忙しい毎日の中で、例えば私のお稽古場に通ってみて合わないなって思われたときは

前向きに次の趣味にむかってほしいと思っています。

いろいろ回ってみて改めて私のところへ来ていただけるならそれもよし。

来るも去るも歓迎の心持でこれからも運営していきたいかなと思います。


 来年はどうでしょうか、少しだけ一歩だけ前に進めるようにお茶会と、演奏会を

開催したいとも思います。

先生として未熟でありますから、実践の場を設けて尻を叩いていきたいものです。


 本当に私に先生としての質があるかどうかいまだに悩むこともありますが

それでも通っていただける生徒の皆さんのためにも、前向きに毎日送っていきたいと思います。


令和四年皆様ありがとうございました、また来年もよろしくお願いします。


令和四年大晦日 松永 泰輔/宗泰


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