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なぜお稽古がひつようなのか。

  • 2024年4月20日
  • 読了時間: 2分

 あるいみ遺言的に電子の海へ自分が思う「茶道」を、恥も外聞もなく垂れ流してしまおうと思いついた次第です。

おそらく半年後には考えが変わっていると思いますが、この時点の、私なりの茶道観を

場末のHPに載せることが自身の成長にもつながるとの内からの欲求にこたえていきたいと思います。


 稽古がなぜ必要なのか。

生徒さんから問われたときにどのように答えるのかは、先生という

役割を全うするのにとても大事なことだとお稽古中に気づきました。

生徒さんがどう思うかは正直言えば何でもいいのです。

彼らがお稽古場へ向かう理由はそれぞれであってしかるべきですし、

理由を統一する意味もありません。

ですがお稽古をする理由は何なのかというお稽古の根本を問われたときに、

先生の側に答えたりえる哲学がなければ、僕は先生として資格がないなと

思ってしまいました(僕だけの話です)。


僕の中での答えは

「自分が名物になるため」ということになります。

僕たち裏千家流は一般的に侘茶と呼ばれています。

道具は釜一つ、道具の数をむやみに集めることの愚かさを説いています。

しかし現状はどうでしょうか、今日一般的なお茶会といえば

次第がとても良く、または著名な作家の道具で行われています。

それを見て育ってしまった茶人は、茶会にはそれらが必要だと勘違いしてしまいまし、

それらがなくては恥ずかしくて釜がかけられないと勘違いしてしまいます。

そこで持たざる者の茶として自身を名物に仕立て上げることが大切だと思うに至ったわけです。

いい道具がなくても点前に自信がもてればお茶で人を招くことができるのではないか。

それはお茶を振舞いたい人にとっては救けではないかと思うのです。

良い道具がなくても、いい茶室がなくても、懐石が粗末でも

いい点前を見ることは茶人にとってこれ以上ない体験です。

これはお茶をいただく前の亭主への声掛けにも表れていると思います。

だから僕は学園で所作の綺麗さを目指して勉強していました。

私のような綺麗さのかけらもない風体で良い茶人になるには、

いい道具を持つか、いい点前ができるかの2択だと思っていたからです。


 自分自身すら茶事を彩る道具として見立て、組み立てることができれば

それこそ。


松永 宗泰






 
 
 

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